本当に”幸せに生きる”ことができる、とお釈迦様は説いた
ほとんどの日本人は、お釈迦様というのは”死後の世界の指導者だろう”と考えているでしょうね。
そしてもしかしたら、お釈迦様も仏像を拝んだんだろうなぁ、なんて考えているかもしれませんね。
お釈迦様も仏像の前で朝夕の勤行ゴンギョウ(”おつとめ”とも言い、お坊さんの日常のルーチン)をなさっていたのかなぁ、なんて考え始めたらもう、お釈迦様に申し訳が立たなくなります。
何かと揶揄されるお葬式仏教の当事者、お寺さんをイメージさせるこれらのお釈迦様観は、私は、かなり深刻な誤解だと思います。
お釈迦様は、神仏のご利益リヤクを喧伝する宗教家でもなく、宇宙の真理を説き明かす哲学者でもありません。
むしろ、科学者に近い態度で実際に人間をよく観察し、洞察し、理想の生き方を見つけ、それを実践した方なのです。
仏のような何かに成ることを教えたのではなく、どう生きれば良いのかを教えたのです。
だから、お釈迦様が説いた”幸せ”を得るために、”死ぬ”必要はないのです。
お釈迦様が説いた”本当の幸せ”は、今生きているこの世で得られるのだよと教えてくれたのです。
ただ、皆さんにはなかなか納得できないだろうと思うのが、この”本当の幸せ”の定義です。
この”本当の幸せ”と、ブランドバッグは無縁です。
永遠の愛も無縁です。
セレブも無縁です。
子供の立身出世も無縁です。
それどころか、幸せな家庭すら無縁なのです。
ギャンブルで大もうけは全く無縁です。
人類の歴史上もっとも幸せだったお釈迦様が亡くなった時、お釈迦様の傍に居たのは少数の弟子たちでした。
奥さんも子供も居ません。
何よりも変わっているのは、亡くなった場所が野外だったことです。
お釈迦様と縁の深い木、沙羅双樹サラソウジュの下で、着ていた布を地面に敷いただけの床で、吹きっさらしの屋外で息をひきとったのです。
お釈迦様の所持品(つまり財産)は、着ていた布と托鉢用の鉢一つだったと思います。
家も資産もありません。
それだからこそ、お釈迦様は”本当の幸せ”を生きることが出来たのだそうです。
だから、市場原理の競争の勝者も敗者も、楢の林に転がっている”どんぐり”なんですよ、って言ったのです。
市場原理の世界で勝者となり、得たもの(財や人・名声・自己満足)は、お釈迦様の言う”本当の幸せ”とは無縁なのだそうです。
というよりも、むしろ、そういう財や人・名声・自己満足は、害にこそなれ、何の益することもないものなんだそうです。
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