こよなき幸せ
スッタニパータというお経の集成の中に、「こよなき幸せ」というお経があります。
そのお経の終りにある詩句を引用します。
267 修養と、清らかな行いと、聖なる真理を見ること、安らぎ(ニルヴァーナ)を体得すること、──これがこよなき幸せである。
268 世俗のことがらに触れても、その人の心が動揺せず、憂いなく、汚れを離れ、安穏であること、──これがこよなき幸せである。
269 これらのことを行うならば、いかなることに関しても敗れることがない。あらゆることについて幸福に達する。──これがこよなき幸せである。
このお経(説法)の相手は、一般の人々(世俗・在家の人)と比丘(出家してお釈迦様の教えを実践しようとしている人)の両方のようです。
第258の詩句から第266までの詩句は、一般の人々を対象としているようです。
それに対して、第267から269の詩句は、比丘を対象にしていると思います。
こよなき(この上ない)幸せは、どのようにすれば獲得できるのか。
① ”修養と、清らかな行い”とを実践すること。
これは、比丘が自ら守ることを誓った戒(シーラ)をまもり、身体や言葉の悪行をおこなわないで、心を清浄な状態に保つことだと思います。
② ”聖なる真理を見ること、安らぎ(ニルヴァーナ)を体得する”こと。
これは、精神集中の修練(帝を通して心の平静さと気づきを養い、人間のありのままの真実を観察し、洞察し、迷妄を脱する真理(慧)を体得し、ニルバーナを体得することだと思います。
③ ”世俗のことがらに触れても、その人の心が動揺せず、憂いなく、汚れを離れ、安穏であること”。
これは、体得した”精神集中・心の平静さ・気づき”と真理(慧)の体得によって、一般社会でいかなる誘惑・困難に出会っても、二度とそれらに煩わされることなく生きてゆけるということだと思います。第269の詩句でこのことを保証しています。
この詩句を紹介したのは、お釈迦様の体得した幸せというのが、一般人の私たちが考えている”幸福”とは、明らかに違うことを示したかったことです。
つまり、第258の詩句から第266までの詩句で述べられている一般の人々が掴み得る幸せは、世俗の事柄から離れることができない状況のなかで獲得可能な幸せだと考えます。
しかし、お釈迦様の考える本当の幸せは、世俗の事柄にふれても、決して動揺しないということですから、必然的に、その幸せというのは、世俗の事柄とは別のものということになります。
私自身は、いまだに、世俗の事柄を離れられません。
そういう私に、お釈迦様は、お前が憧れ、求め続ける幸せは本当の幸せではない。
世俗の事柄を離れた、本当の幸せがある、ということをお釈迦様は教えてくれています。
経典を読むと、そういう”本当の幸せ”を獲得することは、決して簡単ではないが、真剣に励めば、誰でも得ることができると言っています。
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